新卒でフリーランスになるためにやったこと
今回は、私が新卒でフリーランスになった経緯とそこから得た学びを共有します。
なんでフリーランスを職業に選んだか
それはズバリ、ウザい上司と働きたくない!の1点張りでした。
今思えば世間も知らないペーペーがよくもまぁ生意気なこと言ってんな、と思います。それと同時によく今生きてられるなとも思います。
なんで新卒でウザい上司と働きたくない!と思ったかというと、インターンした会社にいくつか爆弾があったからです。(これはまた別の記事でお話しします。)
フリーランスになった経緯
フリーランスにどうやってなったの?、と聞かれると説明はそれは難しくて、気がついたら生業にできていた。というのが結局のところです。
経緯としては、
大学在学中に頂いた内定を蹴る(これについてはまた別の記事でお話しします)
>CGの専門学校に進学。
なぜその専門学校に進学したかというと、在学中にVRと出会ったのがきっかけでなんとなく進学した、が本音です。
その専門学校に在学中は、CGの勉強をするどころか気がつけばVR企業のインターン2社とCGの会社でのバイトばかりしていました。周りはせっせと学校に通っているのに私はなぜかその頃からバイトとインターンしかしていませんでした。机に向かってポートフォリオ制作を黙々とやっているのが性に合わなかったんだと思います。
でもそのおかげで自然と人脈が広がり、これもまた気がつけば初の契約を結ぶまでになっていました。
個人事業主開業届を出すまで
実際、開業届を出すまでにかかった期間は1年ほどありました。
その空白の1年間は、行政には学生扱いとして申告し(進学したため)、普通のアルバイトとインターン時に契約できた委託作業をしていました。
1年間に行ったアルバイトは、
- CG会社のアニメーション担当 (2ヶ月)、
- 映画館 (3ヶ月)、
- Uber Eatsのシステム管理 (5ヶ月)
と、業務委託を行っていました。
CG会社のアニメーション担当
ここでは、After Effectsの使い方を勉強しながらお給料をもらっていました。とてもありがたい環境だったのですが、精神疾患を発病して2ヶ月で退職。とりわけ会社が悪いわけではなく、様々なことが重なった結果でした。
映画館
映画館は3つの中で一番ハードワークでした。というのも私が配属したところが2階建てになっていたので、1日に往復しまくりで立ちっぱなし。それに加えて、朝7時出勤が本当にしんどかったです。なのでやめました。
Uber Eatsのシステム管理
ここは本当にお給料がよかったです。フリーランスが失敗していたらここに就職してもいいかな、と一瞬思うほどでした。
外資ということもあり、社内は明るく気さくな雰囲気で好きでした。アルバイトなのに食事提供もあったり、スナックやドリンクも食べ放題で駅近でとても快適でした。
ただ、当時Uber Eatsが日本でそんなに有名ではなかったため、日本でのサービス指針があやふやでした。その結果、レストランやパートナーからのクレーム対応の割合が高かったです。
ちょうどUber Eatsをやめるタイミングで生きていける程度の額面を稼ぐことができるようになったのと専門卒業のタイミングが重なりました。
その間に数社との契約を交わすことができて、結果的に現在はフリーランスとして活動できています。
どうやって仕事をとるか
これが一番の問題です。
人によると思うのですが、私は業務委託サイトで仕事をとるのはかなり億劫にしていました。今ではサイト整備もされて安心して利用できると思います。
とわ言え、みんなが学校で黙々とポートフォリオを制作する中、私にはひたすらインターンとバイト三昧。
学校を蒸発したため、CG技術がないので、むしろそこで他者と差別化できる!と思いました。経験をポートフォリオに変えて強みを見つけていきました。
そのため仕事の契約を結ぶときは、相手に私から気さくに話しかけることを意識しています。就活でいう、面接が始まっているようなものです。
その中で今やっていること、興味のあること、他にできること、などを話します。
普通かもしれませんが、私に興味を持ってもらうというのが一番ではないでしょうか。
普通に舐められることもありますが、その場合はさらっと会話を終わらせることが多かったです。
下記にある、こだわり(↓のセクション)にも繋がるのですが、合わなければ無理に仕事の話に持っていく必要はないと思っています。フリーランスなので、自分がこの人いいなとかこの仕事やってみたいなと思えるまで選んでもいいと思います。仕事は好きなだけカスタマイズできます。
個人的なフリーランスのこだわり
もちろんお仕事なのでお金を稼がないといけないのですが、私は全て人脈で選ぶようにしています。非効率かもしれませんが、継続性や安心感を優先させています。
その方が、自分が許容できる人だけと選んで仕事をすることができます。常に自分のいやすい環境を変えられるのもフリーランスの利点かと思いました。あまりにも知らない人と仕事を契約すると結局、コミュニケーションの取り方や性格が合わなかったりでストレスが溜まる原因になると思います、少なくとも私はそうです。
学びんだこと
この経験を通して学んだことは、決断力!です。もうフリーランスたるもの人に頼っては生きていられない場面が多くあります。
もちろん、慎重にならないといけない場面もあります。フリーランスの友達や会社の人に相談して判断材料を集めるのが手です。こればかりは経験には代えられないです。
仕事に関しても、フリーランスとしてもやめるも進むも変えるも自分次第ですからね。
フリーランスを目指している方の参考になればと思います。
24歳 女子が不眠症になるまで
今回は私の不眠症事情について書こうと思います。
私は不眠症治療をして3ヶ月経過しました。
睡眠薬を処方してもらい、ほぼ毎日入眠障害と中途覚醒を繰り返してます。現在の職業はフリーランスの動画クリエイターです。
1、不眠症になるまでの生活リズム
不眠症と診断されるまでは、仕事第一に考えていました。
私のフリーランスとしての働き方は、数社掛け持ちをし、リモート作業と常駐委託の両方がありました。毎日8時間では全ての作業量は追いつかず、数日に1回は何かしらの納品やチェックなどで朝から深夜までパソコンに向かう日々でした。
食生活はカ○リーメイトと野菜ジュースで済ませ、栄養面が気になった時はサプリメントを飲んでいました。当時は食に関して無頓着で脳に栄養がいけば良いという価値観でした。
それでも私は好きなことを仕事にできた!と言う自分に対する誇りと楽しさでアドレナリンは毎日全開。大変ながらもゲームのようにどんどん片付いていく作業が楽しかったのを覚えています。
疲労<楽しさ、の心理状態で脳内は常に戦闘モードで、遊んでるくらいなら仕事してたいな、と思えるほど仕事に打ち込んでいました。
ちなみに当時の睡眠時間は6時間未満です。それでも実際は寝れていたので問題はなかったです。
2、不眠症に拍車をかけた出来事
そんなある日突然、50代の母が倒れました。
母は海外の人で日本語がたどたどしいので病院に行ってもお医者さんは母の言っている事が伝わっていません。家族が通訳しても自身の体調をきちんと話せるのは母しかいないので憶測でしか私は話せませんでした。
おそらく更年期障害かと思います。手足は震えて寒がり、引きこもりがちになりました。一日中ベットの上で過ごす上、テレビも見なくなりました。
日本語ができないのもあって処方された薬が合わず症状は悪化する一途。
そうしてついに仕事ができない体になってしまいました。
そんな母を見ていた長女の私は、父は幼少期に他界しているのもあり、
「私が稼がねば!」
と思うようになりました。
そしてより一層仕事に精を出すようになりました。
3、不眠症の前兆
食生活が不規則で睡眠は6時間寝てるのか寝てないのかわからない日々が続きました。
すると、交感神経が活発なのか、ある時から寝ても夢ばかり見るようになりました。見た夢は全て記憶できていたのが奇妙でした。しかし、内容は意味のないもだったので深く考えることはありませんでした。
数ヶ月後、ついに寝つきが悪くなりました。寝るまでに1時間かかる日があれば3時間かかる日もありました。朝方やっと眠れたと思っても必ず夢を見るので寝た気がせず、むしろ寝ることが疲労になっている感覚がありました。この頃から寝る意味あるのかと思うようにもなりました。
それでも自分に異常がある自覚はなくだるいながらも通常通り仕事に向かっていました。しかし仕事中やる気はなく、常に帰りたいと言う感情と寝たいけど眠れない現実に複雑な心境になっていました。
さすがにしんどい!と危機感を覚えたある日、私は仕事帰りにドラックストアに駆け込みました。ネルノダといかにも寝れそうなものを購入。
当時の私は、初日は効いている気がするのですが、2〜3日すると全く効かなくなり、再び眠れない夜がおとずれました。今の自分はこのレベルだったらとっくに病院行ってますね。
4、通院直前の症状
あーつら。その頃には仕事に対する意欲は皆無で、脳内は帰りたい、仕事辞めたいの一点張り。
心配した母が出してくれたご飯も食べれなくなりました。この時の症状としては、便秘と吐き気、動機、異常な不安感が津波のように襲ってきました。さすがにこれは通常の感覚ではないですよね。
脳内の巨大スクリーンにどうしよう!以外の言葉が出なくなり、ベットに入るとやばいやばいと脈を打っていました。
「とりあえず夜は眠れなくても目は閉じよう!」
と思い8時間半、朝を待ちました。
それでも、朝まで一睡もできず動悸がして心拍数は早いまま。この時、徹夜3日目の状態で仕事に向かうことになりました。
朝のバス停でなぜか涙が溢れてきました。電車に恐怖を覚え、言語化できない宇宙のように膨大な不安感でいっぱいになりながらもどうにか出勤しました。
会社に着いたと同時に、もう数社同時に作業することは無理だと判断した私は1社との契約のみを残し、そのほかの企業とは1ヶ月の休職をすると連絡しました。
会社では、2時間に30分はトイレにこもって号泣。そして謎の発熱。38度近い高熱がその日の午後に出ました。
熱が出て初めて自分の異常さに気づくことができました。これは本当にやばい!心療内科に行こう!とそこで初めて「そうだ病院に行こう!」と決断をしました。
5、不眠症と診断される
病院では当然のように不眠症と診断されました。
加えてストレス性過敏腸炎と情緒不安定、低血圧、肩こりなど関連性がなさそうなものまで診断されました。低血圧に関しては、手足の冷えや電車や仕事が嫌になる原因とも言われました。
結果、解熱剤と睡眠導入剤×2、整腸剤、目薬×2の合計6種類の薬を処方してもらいました。こんなにもらうと思わなかった。
熱は少ししたら下がりました。すぐに仕事に行ってもいいな、とポジティブに思えるわけはなくそれから4日連続休みをとりました。休ませてくれた企業に感謝。
それからというもの心がけていることを少しご紹介します。
- 勝手に薬をやめない > 基本中の基本
- お医者さんのいうことだけ聞く
- 太陽を浴びる、カーテンを開ける
- 朝起きたら常温水を飲む > 体に朝が来たことを知らせるため
- 朝食はAM10:00までに食べる > 血圧を上げる
- ヨーグルトと納豆を1日に摂る > 腸内環境改善
- 夜は0時までにベットに入る
- 寝る30分前にベットライトをつける > 体に寝る時間だと知らせるため
6、不眠症との付き合い方
この方法を試して、薬を処方された通りに飲んだら2週間くらいで精神状態は安定しました。
でもやっぱり仕事をしてるといいことばかりじゃないですよね。そうすると寝つきが悪くなって、また不安になったりします。フリーランスが合わないんじゃないか、とも思います。
今は仕事<睡眠に重きを置いてストレスを抱えないように心がけてます。
具体的にいうと脳を使わない時間を意図的に作る、ということです。
- 家に帰ったら仕事関連はシャットアウトする
- 海辺を散歩する
- 太陽を浴びる
- 外の音を聞く
- 好きなことをする
意識していることだとこんな感じです。
おかげで気になってたけど放置していた肌トラブルと、荒れていた腸内環境を改善することができました。不安要素があっても以前ほど落ちたりせず、一定のところでおさまる気がします。
まだ完治していないので、「もう大丈夫だろう!」と思っても常に生活において余裕を持っておこうと思います。
記事の結論としては、まじで休みも仕事のうち。